■読み下し文
「ときに先生、なにか春興(し
ゅんきょう)は
おできなさいやしたか。定めて
ご名吟がございませう。下拙(げ
せつ)なぞも、なにか一句詠み
出そうと
存知ましても、イヤかい無理の
連中どもが、なにかさえ
づツては、点をとりによこされ、
まことにありがた迷惑、
おかげで、なんにもでき
ません。どうも巣立ちの
小鳥どもにも困りやす。
▲△○→段落の繋がり方を示す記号
*→判別できない文字
■大江戸瓦版■
俳諧・川柳・狂歌について
俳諧・川柳・狂歌は江戸の教養人にとっては不可欠な素養であった。
俳諧は芭蕉の死後低調となったが、天明年間に炭太祇や与謝蕪村が出て芭蕉への復帰をさけび、文化文政年間には小林一茶が活躍した。
川柳は俳諧の前句付けから生まれ、撰者の柄井川柳を中心に庶民の洒落文化を醸成した。狂歌は和歌から派生し、天明年間に大田蜀山人や宿屋飯盛が洒落の機知を争った。
いずれも江戸のしなやかな「遊びの精神」につながるものである。
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