14.南極探検飛行機雙六 明治44年
制作「日本少年」新年附録案:日本少年編集局画:明石赤子発行:実業之日本社/ サイズ(cm) 縦54×横74

 振出しは「東京」「ベルリン」「ロンドン」「ニューヨーク」の4箇所で、ともに上りの「南極」を目指す競争双六。 それぞれ進むべきルートが色分けされている。複数振出しの発想はこれが初めてではないかと思われる。
各コマには「万里の長城」「アルプス高峰のマッターホーン」「ヴェスヴィアス火山」「チチカカ湖」「ジブラルタルの要塞」「ナイル河の鰐」など世界の名所・奇観が登場する。飛行機双六らしく、「順風」は3つ進む、「墜落」は2つ戻る、「修繕」は1つ戻る、「旋風・暴風」は3つ戻るルールである。
ちなみに、南極を目指した白瀬中尉が南緯80度に達したのは、双六発行の翌年の明治45年(1912年)1月であった。当時南極到達を目指していたのは、ノルウェーのアムンゼン、イギリスのスコット、そして日本の白瀬の3隊。白瀬が南進を断念した約1月前の1911年12月に、アムンゼンが最初の南極点到達者になった。白瀬隊27名が開南丸(木造)で東京芝浦を出発したのが明治43年11月29日であり、この双六がちょうど印刷されていた頃だと思われる。そして、南極点到達レースに世界中が熱狂していた時代でもあった。

*(参考)白瀬南極探検隊記念館HP