大正ロマンと絵双六 |
|
■少年・少女雑誌と絵双六の蜜月時代
明治時代に入り、大量印刷の技術の向上、各種の大衆雑誌の誕生、流通販売ルートの確立と相俟って、双六の
メディアとしての機能が一層強化され、実に多くの双六が流通しました。
とりわけ、少年少女雑誌の流行は、絵双六文化の繁栄と深い関係があります。これらの雑誌の新年特別付録として必ず大判の双六が採用されました。
少年向けには
勇ましい武勇・戦争双六や善悪・教訓双六等が、少女向けには遊芸・音曲双六、童話・童謡双六、家庭教育双六等が制作されました。
以下に明治後期から大正時代の主な少年・少女雑誌を揚げてみました。
「日本少年」という当時有名な雑誌は、1919年の正月号でナント35万部を売りつくしたと言われています。
これらの部数の影響力は極めて大きかったと思われます。日本の津々浦々の子供たちに大きな夢や憧れを与えたことでしょう。
少年・少女雑誌と絵双六の蜜月時代が今日まで続いているのは皆さんもご存知のことと思います。
<少年雑誌>
「少年園」(少年園 明治21年)
「日本之少年」(博文館 明治22年)
「少年世界」(博文館 明治28年1月〜昭和8年1月)
「少年界」(金港堂書籍 明治35年)
「日本少年」(実業之日本社 明治39年1月〜昭和13年10月)
「少年倶楽部」(大日本雄弁会講談社 大正3年11月〜昭和37年12月)
<少女雑誌>
「女学世界」(博文館 明治34年1月号)
「少女界」(金港堂書籍 明治35年4月号〜大正元年9月号)
「少女世界」(博文館 明治39年9月号〜昭和6年10月号)
「少女の友」(実業之日本社 明治41年2月号〜昭和30年6月号)
「女学生画報」(女学生画報社 明治44年7月号〜大正9年10月号)
「少女画報」(東京社 明治45年1月号〜昭和17年4月号)
「少女」(時事新報社 大正2年1月号〜大正13年11月号)
「新少女」(婦人の友社 大正4年1月号)
「少女号」(小学新報社 大正5年12月号〜昭和3年3月号)
「小学少女」(研究社 大正8年5月号)
「小学女生」(実業之日本社 大正8年10月号〜大正12年10月)
「女学生」(研究社 大正9年5月号〜大正11年5月号)
「少女倶楽部」(講談社 大正12年1月号〜昭和37年12月号)
※「雑誌名」(出版社 創刊号〜最終号)
前へ戻る|双六の歴史 TOP|次に進む
Copyright(c) TSUKIJI SUGOROKUKAN
|