双六の歴史

■賽と盤の分離

盤上双六は、我国への伝来以来、普及と禁止の歴史を辿って近世に至っています。
そして、双六が近世に入って衰微した決定的なの理由は、さいころが盤から離れて即決性の高い賭博用具になったことにあります。かくて、双六はさいころ博打と系譜を分かち、盤上遊戯本来の温和な遊びに回帰していったのです。

江戸時代の文化文政期には、女子の芸事の一つにも認められ、大原芳蔵菊雄の「雙陸独稽古」(1811年)には、婦女の嗜み、双六作法ともいうべきほどにソフト化し、イメージチェンジした新時代の双六について以下のような記述があります。

女がひとたび縁があって嫁いだ場合には、調度として琴や双六盤を持っていくのが望ましい。(中略)ある豪家の娘が嫁入りして、双六盤の遊びを知らなかったので、赤面して恥じ入ったことがある。(心得として)客方に対しては、相手が駒を動かし終える前に、賽をとらないこと、盤の蔭で賽を振らないこと、賽を入れた筒を振る時は、帯より上の高さで振ること。盤外に落とさぬように賽を振ること。筒で駒を崩さないこと。筒口へ指をあてないこと。

前へ戻る双六の歴史TOP次に進む


Copyright(c) TSUKIJI SUGOROKUKAN