山本正勝先生取材記 2002.5
版元/築地双六館
企画・編集/築地双六館
取材協力/翔奉庵 山本正勝先生
山本正勝先生のプロフィル
1932年大阪市生まれ。小学校時代に恩師の薫陶を受け、絵の勉強を行う。大学では医学部に入り皮膚科の医者を目指す一方、浮世絵に魅せられ蒐集を始める。その頃、京都の古書店、絵双六と運命的に出会い、その価値を世間に先駆けて見出す。以降、医業の傍ら、5300枚の絵双六をはじめとし、双六と名のつくものすべてを蒐集する双六界の巨匠になる。
これらの蒐集作品は、翔奉庵(しょうぶあん)=<双六の勝負とご夫婦の名前(正)勝と武(子)に通ず>・・・と称される地下1Fの双六専用資料館に整然と収められており、全国のスゴロキアンの来訪が絶えない。1988年には、名著「双六遊美」(芸艸堂)が上梓され、2002年秋には、同書の続編の出版が計画されている。また、筋金入りの阪神タイガースファンでもある。
*先生は大変魅力的で柔らかい関西弁を話されますが、そのお話し振りが筆者の筆力では再現できませんので以下標準語的に記します。(堪忍しとくなはれ?!)
「振り出し」は大阪の箕面
2002年4月28日。ついに双六界世界最強のコレクター山本正勝先生にお会いする日が来ました。場所は大阪の閑静な住宅地、箕面(みのお)です。
箕面の名物って知っていますか?何と「紅葉の天ぷら」なのです。駅前通りの軒先で紅葉の若葉を揚げているお店が数軒ありました。新緑の眩しい薫風の箕面駅で先生とお会いすることになりました。約束の14時に先生にお迎えいただき、歩いて5分のご自宅に向かいました。
蒐集の動機は「双六へのいとおしさ」
先生のプロフィルにもある通り、最初に先生が双六に出会ったのは、大学の医局に勤めていた昭和38年12月だそうです。その時の様子を以下のように語っていただけました。
「京都の古書店で、いつものように浮世絵版画を見ていたのですが、その傍らのダンボール箱に古い錦絵や引札おもちゃ絵が40~50枚無造作に売リ出されていました。1枚千円か2千円くらいでしたでしょうか。その中に江戸時代の墨刷りの木版画である絵双六がありました。絵師の名も摺師の名もなく版元だけがあるだけでしたが、これほど美しく、図柄として面白いものはないと思いました。 しかし、当時、絵双六は浮世絵からみれば異端であり、子供の遊び道具程度にしか評価されていませんでした。それは絵双六にとって本当にかわいそうなことです。身体の奥の方から絵双六への「いとおしさ」が込みあがってきたことを今でも覚えています。このことがコレクションのきっかけになりました。」
・・・・・懐かしい双六との熱い出会いを思い出す先生。その日の感激は、筆者にもひしひしと伝わってきました。
双六には生活のすべてが表現されている
先生をこれほど魅了する双六の魅力は一体何でしょうか。これを聞いてみました。
「先ず双六の素晴らしいのは、そこでは生活のすべてとが描かれていることです。私たちの暮らしのすべてが表現されています。次には、時代時代の様子・雰囲気・心持ちのようなものが克明に記録されており、その資料性の高さは大きな価値があると思います。
以前こんなことがありました。神戸商船大学の岸井守一教授(体育史研究)が、明治時代に輸入されて全国の小学校に広まった"スェーデン体操"について研究しておられました。しかし、この"スェーデン体操"なるもの、一体どのような体操だったのか、何も文献がなく、経験者の記憶から書き取るしかなかったそうです。そこで、岸井先生も絵双六に注目され、その論文を完成されました。そこには、"スェーデン体操"がコマごとに詳細に図示してあったからです。
また、武士の甲冑のつけ方を克明に説明した幕末の双六もありますよ。江戸時代の泰平が黒船来航で一気に崩壊し、すわ戦乱かという時代になったものの平和ボケした武士は、もはや甲冑の着用の仕方がわからない。そこで、男子が褌一つになった状態から甲冑をつけて武装するまでを絵解き双六でわかりやすく説明しています。これなども貴重な資料なんですよ。これらは、庶民の歴史の一断面が双六に記録されていたを示す事例です。」
・・・先生所蔵の5300枚の双六には、まだまだ多くの謎が秘められていそうです。ディズニーランドやUSJよりよっぽど面白い。この知の森をゆっくりとゆっくりと歩んでみたいものです。
江戸時代の古い双六を見分けるコツ
日本最古の絵双六は、天台宗のお坊さんの教育双六だとも言われています。先生のコレクションでは何が一番古いでしょうか?
「コレクションの中で一番古い双六は、江戸時代の墨刷りの木版画です。同じ墨刷りの木版画でも古いものは、真中に「ふり出し」の区画があったり、版元を示す三つの▲印(鱗形屋板=写真参照)があります。これは江戸時代の初期のものでしょう。和紙だからこそ今日まできれいに保存されてきたわけです。」
エッチな双六もおまんのや!
浮世絵には枕絵のようなものがありますが、双六にもあるのでしょうか?
「ほら、これです。「寝ずに寿ごろく」「浮世人情相性寿娯陸」という題名もそれらしいですね。このようなものは、一般に流通せず、古書の入札会でもなかなか出てきません。いわゆる好事家の中だけで取引されているのでしょう。これらは、江戸時代の双六の中でも珍品・稀品の部類です。丁寧な彫りと摺りで浮世絵の技術がいかんなく発揮されていますね。」
・・・もっと詳しく、図版も詳細に掲載したいところですが、「双六ねっと」は、公共に 優良なサイトとして「good-site」の指定を受けているため、表現の自主規制により、この程度の記載に留めます。これを一番見たがっていた、そこのあなた! ごめんなさいね!!
写楽の双六はあるか?
筆者の従前からの疑問に「果たして写楽は双六を描いたのか?」というものがあります。 この疑問を先生にぶつけてみました。
「うーん。その可能性はないでしょうねえ。双六を描いたという話しも聞いたことがありません。もちろん現存する写楽の144枚の浮世絵には双六はありません。」
・・・残念ながらこのうようなお答えでした。ところで、5月18日のテレビ東京「美の巨人たち」"東洲斎写楽の魅力に迫る!"という番組で、写楽の浮世絵を70数年かけて復刻したアダチ版画研究所の二代目所長の安達似乍牟氏がこのように話していました。
「浮世絵師も彫師も刷師も版元も大変貧乏だった。役者絵が一発でも当たればいいが、1枚がかけ蕎麦一杯と同じような値段の浮世絵は、儲かる商売ではなく、本当に生きていくのがギリギリで、いわばその日暮らしだったのです。写楽が消えたのも、デフォルメのきつい絵が江戸庶民に飽きられたということでしょうか」。
このインタビューは大変興味深いものでした。広重や豊国など浮世絵師の多くは双六を描いています。これはどういうことでしょうか。私はこう思います。当たり外れの多い役者絵(ブロマイド)などの浮世絵事業のリスクの高さに困っていた版元は、正月の定番ものとして、あるいは、ちょっとした知識人の読み物として、絵双六を捉えたのではないでしょうか。つまり浮世絵事業の安定化として絵双六市場に注目し、その結果、多くの絵双六が作られたのではないでしょうか。
明治以降、浮世絵は衰退しますが、絵双六という分野は今日に至るまで連綿と続いています。これは、江戸の版元のマーケティングは正しかったということです。ちょっと強引な仮説かもしれませんが。
「鳥尽初音寿語六」の袋絵
大発見!モヘンジョダロ出土のサイコロ
先生は、絵双六だけでなく、双六盤や賽子(サイコロ)も蒐集なさっています。どのような珍品があるのでしょうか?
「モヘンジョダロ出土のサイコロがあります。賽の目が凹の形で刻んであることが、はっきりわかります。立方体だけではなく、細長い棒状のサイコロもありますよ。何故ここにあるのかは秘密です。また、古代中国の双六を彫り込んだ石碑もあります。海外の双六コレクションとしては、チベット、台湾、中国、イタリア、フランス、アメリカ、イギリスなどがあります。
しかし、美しさ、面白さ、芸術性は日本の双六が完全に諸外国を凌駕しています。歴史的には、ヨーロッパでは、イタリアが双六の発祥地のようです。15~16世紀頃から、「鵞鳥ゲーム」(Game of Y Goose)と呼ばれ、フランス、イギリスへと流行が伝播していきました。アジアでは、チベットやネパール、中国、韓国にもありますが、現代も広く遊ばれているのは、台湾でしょう。現代中国ではもう遊んでいないようです。面白いことに、日本の双六だけが時計回りで、他の国は殆ど時計と逆回りです。不思議ですねえ。」
・ ・・モヘンジョダロ出土のサイコロは、博物館にあってもおかしくないほどの貴重なものです。4000年前のインダス文明が栄えていた頃にも、博打に興じていた人がいたのです。
現代の双六は100年後に必ず価値が出る
先生は、元旦の地方紙を全国から集め、双六特集などを発見される度量をなさっています。何故そこまで意欲的に蒐集されるのですか?
「双六の展示会用の作品を学芸員の方から求められることがよくあります。たいてい江戸時代~昭和の戦前までの双六を要望されます。当然協力しますが、『現代の双六もとても面白いですよ。是非見てください』と言っても、学芸員は全く関心を示さない。 彼らは、双六を浮世絵的な美術品や昔の時代を表す資料としてしか見ていないわけです。
双六は現代ものもとっても面白い。平成13年は、年間で80枚以上の双六が発行されており、前年よりも増えています。キャラクターが大流行しているからでしょう。『どらえもん』も『ポケモン』も『モー娘』もある。現代文化そのものですよ。これらの現代双六は、100年後に必ず価値が出ます。皆がこの時代を知りたがるはずです。江戸時代の双六は、誰でも大切にしますが、これらの現代ものは、私が集めなければ雲散霧消するのは明らかです。間違いありません。そんな悲壮な決意で現代双六を蒐集しています。」
・・・脱帽。先生は現代双六については、手に入る限り2枚蒐集して保存に備えておられます。世界遺産の守護仏にふさわしい周到さです。今回「翔奉庵」と「築地双六館」とで、現代双六保護同盟を締結しました(ちょっと大袈裟!)。双方が取得した双六をできるだけ提供し合うという互助の精神の条約です。これを翔築(しょうちく)条約といいます。(受験生諸君、ここんとこ、日本史の試験に出るよ!)
*「ふり出し」、「上がり」「各コマ」の文字入れが未完成の双六の原画
双六蒐集は、人的ネットワークから
先生は、5300枚もの双六を、どのように集められたのですか。私(筆者)が、6年かけて150枚ですから、先生と同枚数を集めようと思ったら、212年もかかってしまいますがな。
「あのね、吉田さん。一人じゃダメなの。私の場合、先ず病院の患者さんがいます。そして、双六を通じて知り合った多くの人たちがいます。家族も協力してくれます。皆が双六をくれたり、情報を提供してくれます。これらに律儀に対応するんですな。人的ネットワークが大切ですよ。以前は、古書店や古書入札会にもよく顔を出しました。東京の「原書房」や「時代屋書店」にもよく行きました。また、「夏目書房」「木内書店」とも古いつきあいがあります。40年も集めておれば、双六の方から飛び込んできますよ。ハハハ。」
・・・人的ネットワークの真中には、先生の人徳が鎮座ましましておられるわけです。この辺、築地のおじさんは、まだまだ、かないまへんなあ!
取材後記
●大阪箕面に日本が誇る「世界遺産」を見た!
● その世界遺産を「山本双六天」という仏さんがしっかり守っておらっしゃる!
山本先生が双六に注ぐ愛情と蒐集にかける情熱は、とにかく凄まじいものでした。まさに「キング オブ スゴロキアンズ」です。以下に先生の「双六命」の情念の焔(ほむら)の一端をご紹介します。これらはすべて山本先生が実践なさっていることなのです。
- 双六と名のつくコンピュータゲームをすべて集める。
- 大阪の医師会の配付用ポスターを自ら筆をとって、双六仕立てで制作する。さらに、そのコマの1つに製薬会社のタイアップ広告を載せる。テレカにも複製する。 (→写真1)
- 自ら筆をとって、大判の「漢方九十六種薬草双六」を作成する。
- 有名な京都の御所人形作家西井氏に「双六で遊ぶわらべ」を特注する。
- 幻の「村枩(むらまつ)物語」の中に見出した「盤雙六遊び」の絵を写真に撮って、記念のオリジナルテレカを制作する。 (→写真2)
- インダス文明、中国文明の出土品や石碑の中に双六やサイコロを発見し、あらゆる対外交渉の末に、コレクションに加える。
- 双六を保存するための専用のセロファン袋をサイズに合わせて近所の工場に特注する。
- 美術工芸品でもある古い双六盤を50台以上も保有する。
- 5300枚の双六の記録を克明につけ、特注の大型整理棚に分類保存する。
- 自宅の一室に双六資料館(翔奉庵)を建築する。
- 「JRの電車の中吊りで双六の広告を見た」という情報から、制作者を発見して交渉し、入手する。
- 双六に関する本を出版する。それも2冊。
大阪医師会の双六仕立てのポスター( テレカに複製したもの)
幻の「村枩(むらまつ)物語」
記念のオリジナルテレカ
・・・皆さん、こんなことができますか?すべてご家族の深い理解を得てのことだということも頭が下がります。本当に感服しました。わざわざ汐の香漂う東京の築地くんだりから、聖地箕面にお参りした甲斐がありました。そういう意味で、翔奉庵コレクションは世界遺産であり、それを守る山本先生は「双六天」なのです。先生は、人間的にも本当に素晴らしい方でありました。今回の取材を機会に、あらためて双六の世界の奥深さを認識した次第です。私は、遥かな「上がり」を目指して、やっと「振り出し」に立ったばかりであることに気づきました。
本サイトをご覧になった皆さんによって、スゴロキアンの輪がますます広がっていくことを心より念じております。
そして、山本先生、いつまでもいつまでもお元気で!
――翔奉庵にて
さやさやと 滝風に鳴る 楓かな
墨版の 武者荒ぶれる 節句かな
箕面より 世界を望む 双六天
絹よりも 古き道より 賽来たる
数千の 双六眺め 時止まる
(文責:築地双六館館長 吉田修)