《鳥盡初音寿語六(とりつくしはつねすごろく)読み下し講座》
日雇(ひより)とり
読み下し文
ヲイ、三吉や、弁当のおかづはなんだ。ナニにまめだはたじやあるめへし。
そんなものが一ト粒づつ拾はれるものか。おれらなんざ、年中、肴ばかりよ。
その代はり、名前を食ふと、歯虫か立つつてならねへから、このごろは、すゑとしたのヨ。
ナニすりゑかこれ見やなとのきんざんじのことサ。
▲△○→段落の繋がりを表す記号 *→判別できない文字
大江戸瓦版
江戸就職事情について
江戸時代の日本全体の職業人口は武士:農民:商人=10:81:9だったという。職業選択の自由はなく、求人求職活動は江戸・浪速等の大都市が中心であった。
江戸時代初期には「桂庵」(=大和桂庵が金品をとって婚姻や職を斡旋したいたことに由来)と呼ばれる口入屋(人材斡旋事業)がすでに存在していた。求職者は、口入屋の紹介札をもらって雇い主を訪ね、面接を受けた。
口入屋は求職者の保証人としての機能も果たしていたので、求人者は、安心して雇い入れができたようだ。給料は相対決めで契約した。
女性は、仲居、住込み、めかけ、遊女などで、男性は下男、人足、日雇取りなどの力仕事が多かった。