双六の歴史

■さいころの起源

お腹のすいた人類が目の前の茸や河豚や青梅を食べようとした時、alternative=二者択一を迫られたことでありましょう。
悦楽の美味か恐怖の毒か?こんな時、歴史的必然を担って登場したのがさいころです。

つまり、初期のさいころは、人類の意思決定支援ツールであり、やがて「占い」という意思決定が体系化されたシステムに組み込まれていったのではないでしょうか。

アフリカのカメルーンでは、木の実を割って表か裏しかないさいころが発掘されています。アメリカ・インディアンは棒、三日月、円、椅子、動物の各型のさいころを使っていたようです。中国や朝鮮半島でユンノリと呼ばれる遊戯では、円筒を二つに割った4つの木片で5つの選択ができます。立方体のさいころは、インダス文明モヘンジョダロの遺跡から発見されていますが、1の裏が2、3の裏が4、5の裏が6になっていて、現在のさいころとは違っています。

日本で最古のさいころは、九州太宰府跡から出土した5×1cmの4枚の木片で、それぞれに1〜4本の線が刻されていますが、どのように使ったかは不明です。立方体のさいころの最古のものは、宮城県多賀城跡で発見された700年頃の木製のもので、さいころの目は1〜4までしか確認できていません。

さいころの持つ偶然性がゲームにおける参加者の対等性、公平性を担保しており、盤上遊戯に夢と興奮を与えています。

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