双六の歴史

■ツタンカーメンとセネト

1922年イギリス人ハワード・カーターによよって発見されたエジプト第18王朝の若きツタンカーメン王は、紀元前1352年頃に18歳で死去したとされています。

その豪奢な副葬品の中に4つの遊戯盤がありました。最大のものは、象牙と黒檀で作られた盤に、獣の脚を模した脚柱がつく品格ある美術品です。盤の桝目は、10の桝目が3列に並んだもので、古代エジプトでは「セネト」と呼ばれました。セネトとは、通過するという意味です。

ミュンヘン大学の研究によれば、最も古いセネトはエジプト初期の第一王朝(紀元前2950〜2654年)の粘土ものでした。これも盤上に3×10の桝目が刻まれていました。
エジプト第三王朝(紀元前2654〜2578年)時代のピラミッドにあるサッカラの彩色壁画には、セネトに興じる人の様子が描かれています。盤は箱型で3×10の桝目で、14個のコマで遊んだようです。
時代が下って第十八王朝の新王国の時代には、王や貴族だけでなく、平民や学生石工達にもこのセネトが流行しました。パピルスの上に桝目を線描きしたものも発見されていました。

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