双六の歴史

■紀元前3200年のウルの遊戯盤

双六は、いつ頃、どこの国で、どのように生まれたのでしょうか。
双六は、将棋、囲碁、チェスのように盤上遊戯として位置づけられます。盤上遊戯の最古のものの一つは、バグダッドのイラク国立博物館に展示されていました。(1990年の湾岸戦争で米軍機のよる空爆でこの博物館も被爆したとの報もあります。)

とりわけ、イラク南部のウル第三王朝の王墓から発掘された紀元前2600年頃の遊戯盤は、最も優美で精巧なものであり、「ロイヤルゲーム・オブ・ウル」と称されています。宝石が散りばめられ桝目や側面に幾何学模様や目の形の象眼がほどこされていました。

ゲーム史の研究の最も進んでいるイギリスで、近年この正確な遊び方が確認されました。I・フィンケル大英博物館西アジア考古学副部長によれば、「ウルの遊戯盤は、いわゆる二人対戦型のレース(競争)・ゲーム。コマを出発点から終点に向かって盤上の桝目で動かす。三角錘のさいころと、白黒各5個ずつの平らな円形のコマが使われた。例えば、さいころの目の2が出た時は、13番目の桝目に進むことができ、盤面上に5箇所あるロゼッタ模様の桝目に進むと、2回さいころをふることができる等かなり複雑なルールであった。」ということです。

バグダッドのイラク国立博物館には、ウル第一王朝(紀元前3200年頃)か、それよりも古いとされる遊戯盤もあるそうです。これは形状から茸型遊戯盤と呼ばれ、レース・ゲームの原型といえるものです。これらウルにルーツを発する遊戯盤は、パレスチナ、パキスタン、イラン等広範な地域で遊ばれていたことが判明しています。その形状は河馬形、蛇形、ラケット形と様々な変化し、彫りや装飾の技巧も精巧になってきています。

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