スゴロキアンの夢

スゴロキアンとは?双六の歴史と由来私と双六との出会いスゴロキアンの3つの夢

スゴロキアンの皆様こんにちは。「築地双六館」にようこそ。
双六コレクションのきっかけと双六というメディアの特長について述べた「絵双六に恋をして」と併せてご覧ください。

◆スゴロキアンとは?

スゴロキアンとは、絵双六の愛好家のことで、私が勝手に造語したものです。シャーロキアンは、世界中に何万人もおり、日本にも大きな支部が存在していますが、スゴロキアンは、現在のところ日本で100人程度と推定しており、各人の消息は定かではありません。絵双六なんて昔の子供の遊びで何の価値があるのかと訝しく思う人が殆どでありましょう。その認識は半分正しく、半分間違っています。双六は時代時代の風俗・習慣・価値観を映す鏡です。各時代の双六には庶民の夢や憧れと悲哀や恐怖が見事に表現されており、その歴史的、美術的価値をきちんと後世に伝えることがスゴロキアンに与えられた役割です。

◆双六の歴史と由来

そもそも双六は、囲碁や将棋と同様に盤上遊戯に位置付けられます。この盤上遊戯の起源は、イラク南部のウル第三王朝の王墓から発掘された紀元前2600年頃の優美で精巧な遊戯盤にあり、これは、駒をサイコロで動かす対戦型レースゲームでした。その後、エジプトのセネトや欧州のバックギャモンへと発展し、中国では、「雙六は魏の曹植がはじめた」とされています。

我国の「日本書記」には、持統天皇時代の689年に「双六禁断」と記述されたのが最初です。この頃から賭博性のあった双六の禁止のお布れが発せられていたことがわかります。現存する最古の双六は、朝鮮から渡来した「木画紫檀雙六局」で、正倉院に御物として所蔵されています。賭博である双六はその後、何度も時の政権によって禁止され、やがて温和な絵双六へと変化していきます。絵双六は天台宗の仏教用語を初心者の僧侶に覚えさせるためにつくった名目(みょうもく)双六が最初のようです。いわゆる仏教双六として成立したわけです。それが江戸期に入って、当時世界一の多色刷木版技術つまり浮世絵技法によって一気に多様化・大衆化し、役者・道中・遊芸・名所・庭訓・武勇双六などの多くのバリエーションを生んでいきました。

→詳しくは、双六の歴史と文化をご覧下さい。

◆私と双六との出会い

私が双六収集を始めたきっかけは、1995年頃に、青山の骨董市で昭和7年の「大東京名所めぐり」という素朴なカラーの大判双六に出会ったことです。この双六には、軍事教練所、三越デパート、堀部安兵衛の高田馬場など江戸の名残を残しつつ当時の名所が活写されており、面白いことに、裏面は企業のコマ割りタイアップ広告が掲載されていました。爾来、江戸時代〜昭和の戦前までの双六を100枚程度収集しました。

さらにこの世界にのめり込んだのは、インターネット上での楊暁捷(ヤン・ショージェ)先生との出会いです。先生は北京大学、京都大学で日本中世文学を学ばれ、カナダのカルガリー大学ドイツ・ロシア・東アジア研究学部準教授としての籍を置き、昨年5月より京都の国際日本文化研究センターの客員研究員として「絵巻物とマルチメディア」を研究されていいるカナダ国籍の中国人です。先生はネット上に「長谷雄草紙」(平安時代に貴族と鬼が双六勝負をする話)の論文を掲載しておられ、私がその感想をメールでお送りしたことから2年間にわたるメール交換が続いています。

先生は、変体仮名研究の専門家でもあり、私には解読できない江戸期のくずし文字をデジカメ写真で送信して読み下していただくなど大変お世話になっています。例えば江戸後期の「鳥尽初音寿語録(とりつくしはつねすごろく)」(袋画:歌川豊国、作:鶴亭秀賀、画:蝶楼国綱、版元:錦堂山田屋庄次郎)は、婿とり、鼠とり等「とり」の駄洒落を30コマにもわたって、当時の話し言葉と時代色溢れる精緻な版画で構成されていますが、その中の「客とり」という流麗で達筆過ぎる変体仮名を見事読み下していただきました。その意は、「若旦那、今年は女に縁がなくて困りましたが、ようやくあんないいたまを見付けだしました。そのつるさんがいらっしゃいましたよ。云々」。廓の遣り手婆と若旦那の粋なやりとりが画にも文にも横溢している見事な双六であることが楊先生のご協力で判明しました。

鳥尽初音寿語録(とりつくしはつねすごろく)読み下し講座も、お楽しみください。

◆スゴロキアンの3つの夢

今後のスゴロキアンとしての3つの夢を語りたいと思います。

双六HPを立ち上げたいという夢は実現しました。今後は、市井のスゴロキアンの方にもご協力いただき、双六コレクションのバーチャル展覧会に発展させたいものです。大阪の山本正勝氏というお医者さんは6000点もの作品を蔵しておられるとのことです。

先ず、双六を究めていく中で生じてきた5つの謎を解明したいと思っています。@盤上双六はいつどのように絵双六に変化したのか?A浮世絵とともに双六も海外に流出したのか?B写楽は双六を制作していないと言われているが本当か?C日本最古の雑誌付録の双六は何か?D絵双六は欧州や中国にもあるというがどのような双六か、世界何カ国に存在するのか?

最後は、子供の職業教育のために、双六の表現手法を使ったマルチメディアツールを開発することです。小学生のなりたい職業は男子が「大工さん」「野球選手」「宇宙飛行士」、女子が「看護婦さん」「保母さん」「パン屋さん」等ですが、その夢は大人になるに連れていつの間にか現実の中で風化してしまいます。子供の職業理解促進と夢を現実にするための確かなキャリアルートの提示を最新のシミュレーションゲームによって実現できないかと思います。

例えば、 子供が好きな仕事ベスト30(男女別)について、子供の視点で徹底的に取材する。その上で、 子供のキャリアプログラムを考える。つまり@色々な仕事の内容を探せる A自分の好きなことがわかる B目指した仕事のイメージが湧く Cその仕事につくために何をしたらいいかがわかる D @〜Bを踏まえ、その子供の志向に応じて、Cを「仕事なるには双六」としてPCより印刷アウトプットできるようにする。D子供はその双六を勉強机の前の壁に貼っておく。日々希望の仕事に向けてイメージを膨らませる・・・・・・と、いくかどうかはわかりませんが、双六の持つ「ドラマ展開の一覧性機能」を子供の職業観醸成に役立てればと思います。

→皆さんの声もお聞かせください

スゴロキアンとしての夢はまだ「振り出し」に立ったばかりです。多くの人との出会いにより、一歩づつ「上がり」に近づくその過程をおおいに楽しみたいと思います。

2001年1月 吉田 修


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